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EAST END×YURI(イーストエンド プラス ユリ)は、1990年代に活動した日本のヒップホップユニットである。 == 来歴 == *1994年2月、東京パフォーマンスドールの市井由理の友人だったEAST ENDが、市井の新宿シアターアプルで行われたライブにゲスト出演。観ていたファイルレコード佐藤社長の鶴の一声で「EAST END×YURI」を結成。 *1994年6月、『denim-ed soul』をリリース。レコード発売記念ライブを西麻布YELLOWにて行う。 *1994年8月、デビューミニアルバム『denim-ed soul』から、1st Single『DA.YO.NE』をメジャー(SONY)よりシングルカット。当初のセールスは不調。NORTH WAVEとタワーレコード札幌店の協力プッシュにより、まず北海道で『DA.YO.NE』がブレイクする。その後、広島・九州・仙台などの地方でも人気が上がる(なお、その後、カバーでこの地方ヴァージョンがそれぞれ発売されている)。最終的にミリオンヒットを記録し、最高位3位を記録。また、「英語以外のラップによるCD売り上げ記録」としてギネスブックにも掲載された〔「子供だってラクじゃない!」(Dur dur d'être bébé!)をヒットさせたジョルディー (Jordy)と共に掲載。イアン・カステロ=コルテス(編)、田中孝顕(日本語版監修)『ギネスブック 2000』きこ書房、1999年、125頁。ISBN 4877715088〕。 *1995年2月、ユニットとしての2nd Single『MAICCA -まいっか-』を発売。初登場3位。「DA.YO.NE」と共にベストテンにチャートインし、共に新語・流行語大賞にノミネートされた。この時点でROCK-Teeが方向性の違いにより脱退。 *1995年4月、3rd Single『いい感じ やな感じ』発売。 *1995年6月、フルアルバム『denim-ed soul 2』発売。グループセールスを合わせて400万枚を突破。 *1995年7月、『denim-ed soul 2』より、4th Single『何それ』をシングルカット。 *1995年12月、5th Single『ね』発売。大晦日には、第46回NHK紅白歌合戦に出場(ヒップホップグループとして初めて)。 *1996年5月、6th Single『日曜の朝の早起き』発売。その後、ユニットとしての活動を休止。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「EAST END×YURI」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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